南会津町伊南地区 本文へジャンプ
  窓明けの湯
久川城跡   久川城太鼓

久川城跡は青柳と小塩にわたる南北約565メートル、東西約250メートル、比高53メートルの丘陵上に所在する。東は伊南川に臨み、西は絶壁をなして、その下は滝倉沢の渓流となり、北はこれと合流した久川が麓を流れる天然の要害である。

 『新編合津風土記』巻44の青柳村の項には「久川城跡(中略)東西一町、南北四町、東西北三方に乾隍を廻す、北を本丸とし、二丸・三丸其南につづき、間に掘切りあり」と記され同書及び所伝によれば、古町の館に住した河原田盛次が天正17年(1589)伊達政宗軍の来襲に備えて築城したもので、のち蒲生氏の支城となったが、慶長16年(1611)に至り廃城になる。
現在、城跡の丘陵は杉などの植栽が施されているが、城門とみられる南麓の石垣構えの馬出しを始め、丘陵上の空堀、土塁およびこれらによって南北の連郭式の区画された各曲輪は、おおむね往時の姿をのこしている。丘陵中央部の本丸に相当する曲輪(南西隅に稲荷神社を祀る)は東西約90メートル、南北約50メートルの規模を有する。遺構の保存の良好な点、歴史的背景および築城廃城の時期が比較的明確な点など、戦国近世初頭の山城としてきわめて貴重な史跡と認められる。指定区域の南に隣接する堂平の地区は城下集落跡とくに侍屋敷と推測され、その存在によって、久川城跡の史跡としての価値はさらに高いものとなっている。
(『県教育委員会指定書 (別紙)抜萃』)

久川城太鼓

河原田氏の武勇を今に伝える久川城太鼓
平成元年久川城築城400年を記念して、地元青柳地区の「久川城太鼓保存会が結成されました。「久川合戦太鼓」」「おんべの舞」「清流伊南川」曲があります。毎年8月には、「ねっかさすけねえ」という和太鼓フェスティバルを開催します。保存会の将来を担う子供達による「久川城子供太鼓」も活動しています。
久川城で勇敢に戦いぬいた河原田氏を記念して開催される久川城まつりで様子。

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