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【田代山はなぜ台地状になっているのか】

 今から数百年前に田代山付近で大規模な火山の噴火がありました。噴火の際に火砕流※①が起き、山も谷も埋め尽くして広い範囲に蓄積しました。蓄積した火砕流は熱で溶けて固まり、溶結凝灰岩※②(ようけつぎょうかいがん)の層をつくります。この蓄積した溶結凝灰岩は、長い時間に侵食を受けて地質の弱いところは削り落されて一部が台地状に残り田代山は形成されていきました。

※①火砕流とは・・・火山噴火の際に噴出した火山灰等が高温のガスと一体となって斜面を高速で流れ下る現象のこと。

※②溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)・・・噴火による噴出物が、自身の熱と自重によって圧縮されて気泡を失い溶結し合ってできた岩。

※余談 南会津町田島地区にある駒戸湿原も火砕流台地です。

【田代山の山頂には花が咲く湿原】

 田代山の台地面(山頂面)に数百万年の間に火山灰等が降り注いだりして薄い土壌ができ、植物が生育できる環境になりました。植物を潤す水は雪解けや雨水だけで、栄養状態も良くありませんでした。さらに、高い山のため低温で枯れた植物の遺体は分解が遅く年々蓄積していきました。この蓄積したもの(層)を泥炭層といいます。長い時間をかけて泥炭層が発達し、その環境の中で生育できる植物がきれいな花を咲かせています。泥炭層の発達速度は1年で0.17㎝(駒戸湿原の例)といわれ、1㎝発達するには約600年と言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【田代山のいわれ】

 田代山は、1912年7月30日に開山されたと伝えられています。この日、高野山の2人の高僧が地元の神主を伴って、まだ登山道のない田代山に登り、弘法大師の像を山頂に祭ったことによります。

 この時の神主が、田代山ふもとにある湯ノ花地区の大山善八郎時澄です。時澄は仏門に帰依し、山の頂上に「太師堂」を建立します。田代山の山頂にある避難小屋がそれです。小屋の奥には弘法大師の座像が祭られています。弘法大師の座像は田代山に1体、そして湯ノ花地区の共同浴場「弘法の湯」に1体、あわせて2体の座像があったのです。

 共同浴場「弘法の湯」に納められた1体は、地元の人たちに篤く信仰されてきましたが、残念ながら数年前に盗まれてしまいました。
現在、浴場の天井には、大師像を運んできた当時のかごが残っています。そのかごや太師像を大切に管理しているのが、時澄の子孫大山佳伸さんです。

 「新編会津風土記」には、「山中二広キ原アリ、其ノ中ニ田畝ノ遺形アリト伝」と記されており、田代山頂には、耕された田畑があったと言います。奥会津只見では「田代山に雨が降ると川が赤くなる」と信じるお年寄りが今もおり、とにもかくにも田代山は古くから会津の人たちに信仰されてきた山でありました。

田代山は、2007年8月30日に尾瀬国立公園の一部として国立公園に指定されました。
標高1926m、山頂には広大な湿原を持ち、まさしく平な場所を持つ山です。

6月に入ると、ショウジョウバカマ、チングルマ、ヒメシャクナゲなどの高山植物が咲き誇り、一面お花畑になります。

山頂の湿原の下に雲海を抱くときがあり、その景観はまさしく「雲上の楽園」と呼ばれるにふさわしいものです。

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【田代山の登山道】

 田代山山頂に行くには、主に猿倉登山口ルート(南会津町・湯ノ花温泉から約13㎞)、馬坂登山口ルート(桧枝岐村)の2つがあります。川衣(南会津町・川衣地区)ルートもありますが、登山口手前約3㎞にゲートがあり、登山口から山頂まで約6㎞ありますので初心者向けではありません。上級者向けのルートです。

 

山頂湿原木道(撮影時期6月上旬)
山開き当日には多くの登山者が訪れます。
ワタスゲ(花穂) 見頃は例年6月中旬~7月上旬
山頂湿原にある弘法池と呼ばれる場所
ワタスゲの群生
チングルマの群生
キンコウカの群生

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